映画で生き残る

ヴィラン(悪役)にあこがれる心理、ジョーカー考察

アメコミが映画業界を席巻してから長い年月が経ちます。

ボクも映画好きとして楽しませてもらっています。

とくに「ダークナイト」「ジョーカー」「ザ・スーサイドスクワッド極悪党、集結」が好きです。

 

ボクはヒーローも好きですが、どちらかと言えばヴィラン(悪役)が好きです。

そこで、なぜ自分がヴィランに惹かれるのか、自問自答してみました。

自分なりに気付いたことについて書きます。

 

 

物語のなかで、必然的にヒーローは守る役割を担う存在となります。

対してヴィランは壊す役割を担っています。

 

「世界を壊そうと画策するヴィランからヒーローが世界を守る」、これがヒーロー映画のテンプレですよね。

 

もしかしたら、現状の世界に不満のある人間はヴィランに惹かれてしまうのでは?と思うのです。

「世界の在り方に不満はあるけれど、自分には変える力がない」、そういった人間は自分の願望をヴィランに重ね合わせてしまう傾向があるのではないかと考えたのです。

話が少し逸れますが、「シンゴジラ」が公開されたときに、日本の企業や政府が破壊される様子にカタルシスを覚えた観客も多かったと聞きます。

このように、自分の欲求を具現化してくれる存在として、ヴィランに思いを寄せてしまう人も多いのではないかと思います。

 

ボクは自分にもそういったところがあることを自覚しています。

バットマンシリーズのヴィランであるジョーカーに惹かれるのも、きっとそういう心理が働いているのです。

 

ジョーカーが登場するダークナイトという映画は2008年に公開されています。

ちょうどリーマンショックと同じ時期です。

ボクも例に漏れずリーマンショックの影響を受けた人間です。

仕事が大幅に減り、それに伴って給料も半分まで減らされ、転職を余儀なくされました。

 

そんなときにダークナイトを見たのですから、思うところがあるのは当然です。

誤解を恐れず言えば、傍若無人に振る舞うジョーカーを格好良いと思いました。

社会の欺瞞を次々に暴くその姿に興奮するものがありました。

自分に出来ないことを簡単にやってのけるジョーカーに憧れのような感情を抱いたものです。

 

今でもアメコミ映画を見ると、ついついヴィランの方に肩入れしてしまいます。

ヴィランの方が自分にとっては感情移入しやすいのです。

 

しかし、もちろんボクはこの世界を壊そうとは思いません。

社会に対して迷惑となる行いをするつもりはありませんし、そんな勇気もありません。

ただ、心の片隅では世界の変革を望んでいるのも本音ではあります。

世界に対して不満が無いと言えばウソになりますからね。

 

だからこそ、ボクは少しだけ世界の常識みたいなものからはみ出していたいと思っています。

世界を変える力もないし、世界を壊す力もないですが、ちょっとだけ世界からはみ出したまま、生きていけたら良いと思うのです。

 

ボクは正社員にもなったことがない底辺の三十路過ぎの人間です。

職歴がボロボロなので、いまさら普通の人生を歩むのは難しいです。

将来のことを考えると不安でたまらなくなります。

そんな自分でも、努力と工夫によって幸せな人生を送れるように日々頑張っています。

 

もしボクが人生を最後まで生き残れたときに、ほんの少しだけ世界の常識のようなものにヒビ程度は入れられたら良いと思います。

ボクのような人間でも、幸せに生き延びることができるんだ、と誰かに伝えられたら嬉しいです。

それがジョーカーになれないボクができる、唯一の社会への復讐です。

RELATED POST