ふと思い出したお話があります。
昔、本で読んだお話です。
山で鹿の数が減少し続けていた。
調査に乗り出すと、鹿の角(ツノ)が年々大きくなっていることが判明する。
鹿の角はオスにしか生えることが無く、主にメスの取り合いで使用する。
角が大きい方がメスの取り合いでは有利である。
角の大きい個体だけがメスを手に入れ、ツガイとなって子を残す。
角が小さく、メスの取り合いで勝てない個体は、ツガイとなることが出来ず孤独に死んでいく。
角の大きい個体の子は、遺伝的に角が大きくなる。
それが繰り返された結果、どんどん鹿の角が大きくなっていった。
しかし、
山には鹿の天敵である狼がいた。
いくら角が大きくても、鹿は狼には勝てない。
無数の木が生えている山では、大きな角は逃走の妨げにしかならない。
角が大きい個体は、狼にとって格好の餌食なのだ。
鹿は間違った方向へ進化していた。
その山では天敵である狼に、鹿は滅ぼされつつあった。
かなり昔に読んだので、内容は少し間違えていると思います。
もう本のタイトルも忘れてしまいました。
海外の自己啓発系の本で紹介されていたエピソードです。
寓話などではなく、現実で起こっているお話です。
このお話は示唆に富んでいると思います。
「個として正しいことが、全体としては間違った方向へ進んでいる」
当てはまる事例は枚挙にいとまがありません。
たとえば、政治。
一部の政治家が既得権益を守るために、明らかに間違った方向へかじを切っています。
たとえば、原発。
いまの科学では制御できず、完全にオーバーテクノロジーなのは明確です。
そのリスクから目を背け、我々は利便性にあやかっています。
ブラック企業もそうですよね。
大勢の奴隷労働の上で、個人の利益が成り立っています。
社会全体で考えれば、間違っているでしょう。
難しいのが、あらゆる事例も「個としては正しい」ことです。
明らかに人類にとって有害な「酒」や「煙草」が無くならないのも、無くなったら困る人たちがいるからです。
人間(生物)である以上、全体のために個の利益を捨てるのはなかなか難しいでしょう。
しかし、
「個として正しいことが、全体としては間違った方向へ進んでいる」
この視点を持っていれば、もしかすればより良い判断が下せるときが来るかもしれません。
さまざまな事象から、我々は学ばなければなりません。
「鹿の角」のお話もその一つです。