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【スピリチュアルな話じゃないよ】マウントを取らない方が良い理由を論理的に解説する

他人を見下したり、馬鹿にするような行為は、人として慎まなければなりません。

それは道徳(モラル)的な意味や、スピリチュアル的な意味だけではありません。

他人に対する振る舞いは、最終的に自分に返ってくるからです。

 

たとえば、他人が仕事でミスをしたとします。

それに対して、見下したような態度を取るのなら、相手から嫌われるのはもちろんのこと、今度は自分がミスをしたときに自己嫌悪に陥ることになります。

 

「こんなことでミスをするなんてありえないだろ」

「何度同じミスをやっているんだ」

「やる気があるのか」

 

これらの言葉を他人に投げかけるのなら、それはそっくりそのまま自分にも返ってきます。

自分はミスも許されず、常に完璧な仕事を求められ、とても窮屈な思いをするでしょう。

他人のミスを許さないことによって、自分もミス出来なくなるからです。

 

現代病の一種と言っても過言ではない「マウント」の取り合いも同じです。

 

自分の方が持っているから、持っていない人を見下す。

自分の方がお金を持っているから、お金を持っていない人を見下す。

自分の方が地位が高いから、地位の低い人を見下す。

 

人間は吐き出す言葉によって、メンタルや人格が形成される生き物です。

 

お金を持っていない人を見下すなら、お金を持っていないとダメな価値観が出来上がります。

地位が低い人を見下すなら、地位が高くなければならないという価値観が出来上がります。

 

もし、そんな人がお金も地位も無くしたならどうなるでしょう?

深刻なメンタル疾患を患うこと必至です。

 

逆に、他人に寛容な人はどうでしょう?

 

ミスを許し、無駄に叱責したりしない。

自分の方が持っていたとしても、他人を見下したりしない。

そうすれば、自分がミスをしたとき、自分が何かを失ったとき、必ず自分にも優しくなれます。

 

ボクは「まぁまぁ、それくらい良いじゃん」、「人間だから仕方ない」を口癖にしています。

そうすることによって、自分がやらかしたりしたときも、余裕を持っていられます。

 

他人に厳しくすることは、自分にも厳しくするのと同義です。

他人を傷つけることは、自分を傷つけるのと同義です。

他人を見下し、マウントを取ることは、自分を見下しマウントを取ることと同義です。

 

一体いつまで続けますか?

他人には寛容に、そうすれば自分自身を肯定し、楽に生きられるようになりますよ。

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