ゲームで生き残る

【ゲーム制作考察Part.03】ギミック増し増しは自己満足になりかねない、その作り込みは本当に面白さにつながっているか【ゲーム開発】

昔話をします。

自分が中学生の頃のお話です。

 

友だちから「チョロQ64」というタイトルのレーシングゲームを借りました。

任天堂64で遊ぶことのできるタイトルです。

自分は64を持っていなかったので、本体ごと友だちから借りました。

 

チョロQ64には、当時としては珍しく、コースエディット(自分でコースを作成できる機能)がありました。

自分は、すぐにコースエディットに夢中になりました。

いまでも趣味でゲーム制作をしているのですが、自分のゲーム作りの原点は、もしかしたらチョロQ64なのかもしれません。

 

キッズの頃ですから、ギミックを増し増しにするのです。

水たまり、ジャンプ台、直角カーブ、ワケの分からない場所に障がい物を置く、などなど。

詰め込めるだけのギミックを詰め込みました。

 

完成すると、、

(よし!これだけ作り込んだんだ!さぞやスリリングなコースになったに違いない…!!)

なんて、鼻息荒く自己満足に浸っていました。

 

次の日、自信満々で友だちに自分の作ったコースをプレイさせました。

結果としては非難轟々でした。

不評の嵐です。

 

お前の作ったコースは疲れる…

ずっと同じところを走っているような感じがして飽きる…

などなど。

 

当時、中学生だった自分は本当にショックを受けました。

30歳を超えた現在でも覚えているほどです。

 

(あれほど作り込んだのに…)

 

しかし、ゲーム作りにおいて、素晴らしい経験となったのも事実です。

 

ギミック増し増しの作り込みは、ただの自己満足にしかなり得ないという事実です。

ゲームは人を楽しませるために作るべきであって、制作者のエゴを押し付けるために作るべきではありません。

キッズの自分は、完全に自分のエゴを押し付ける形でゲームを作ったのです。

 

RPGツクールを使用して即席で作ったステージです↓

※オブジェクト(ゾンビなど)に接触すると、ゲームオーバーとなると仮定して見てください。

1番目のマップはゾンビが徘徊している

2番目のマップは床に炎が走っている

3番目のマップは上からトゲトゲ鉄球が転がってくる

4番目と5番目には、とくに何も設置していません。

プレイヤーに求めているのは、まっすぐに歩くことだけです。

強いて言えば、途中で夕暮れや夜に変わる、ベルの音が鳴り響き、天候が変わる、くらいの演出だけを入れています。

 

このように、あえて何もない場面を入れるべきです。

プレイヤーが力を抜く場面を意図的に入れることによって、プレイに緩急が生まれます。

 

たとえば、アクション映画でずっと戦っていたら、それがどんなに素晴らしいアクションでも絶対に飽きるでしょう。

日常パートなどを入れなければ、映画として成立しません。

観客は胸焼けし、うんざりします。

 

あるいは、どんなに美味しい料理でも、同じものばかりだと食欲が無くなります。

違う料理を出したり、ときには箸休めが必要です。

 

上記したチョロQ64で言えば、何も考えずアクセル全開で走れる直線が必要だったのです。

そこで、少しクールダウンしてもらってから、ジャンプ台やカーブを楽しんでもらうべきでした。

 

その作り込みは本当に面白さにつながっていますか???

 

いい意味で、抜きどころを設置するべきです。

そんな自分の経験を踏まえた意見でした。









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