昔話をします。
自分が中学生の頃のお話です。
友だちから「チョロQ64」というタイトルのレーシングゲームを借りました。
任天堂64で遊ぶことのできるタイトルです。
自分は64を持っていなかったので、本体ごと友だちから借りました。
チョロQ64には、当時としては珍しく、コースエディット(自分でコースを作成できる機能)がありました。
自分は、すぐにコースエディットに夢中になりました。
いまでも趣味でゲーム制作をしているのですが、自分のゲーム作りの原点は、もしかしたらチョロQ64なのかもしれません。
キッズの頃ですから、ギミックを増し増しにするのです。
水たまり、ジャンプ台、直角カーブ、ワケの分からない場所に障がい物を置く、などなど。
詰め込めるだけのギミックを詰め込みました。
完成すると、、
(よし!これだけ作り込んだんだ!さぞやスリリングなコースになったに違いない…!!)
なんて、鼻息荒く自己満足に浸っていました。
次の日、自信満々で友だちに自分の作ったコースをプレイさせました。
結果としては非難轟々でした。
不評の嵐です。
お前の作ったコースは疲れる…
ずっと同じところを走っているような感じがして飽きる…
などなど。
当時、中学生だった自分は本当にショックを受けました。
30歳を超えた現在でも覚えているほどです。
(あれほど作り込んだのに…)
しかし、ゲーム作りにおいて、素晴らしい経験となったのも事実です。
ギミック増し増しの作り込みは、ただの自己満足にしかなり得ないという事実です。
ゲームは人を楽しませるために作るべきであって、制作者のエゴを押し付けるために作るべきではありません。
キッズの自分は、完全に自分のエゴを押し付ける形でゲームを作ったのです。
RPGツクールを使用して即席で作ったステージです↓
※オブジェクト(ゾンビなど)に接触すると、ゲームオーバーとなると仮定して見てください。
1番目のマップはゾンビが徘徊している
2番目のマップは床に炎が走っている
3番目のマップは上からトゲトゲ鉄球が転がってくる
4番目と5番目には、とくに何も設置していません。
プレイヤーに求めているのは、まっすぐに歩くことだけです。
強いて言えば、途中で夕暮れや夜に変わる、ベルの音が鳴り響き、天候が変わる、くらいの演出だけを入れています。
このように、あえて何もない場面を入れるべきです。
プレイヤーが力を抜く場面を意図的に入れることによって、プレイに緩急が生まれます。
たとえば、アクション映画でずっと戦っていたら、それがどんなに素晴らしいアクションでも絶対に飽きるでしょう。
日常パートなどを入れなければ、映画として成立しません。
観客は胸焼けし、うんざりします。
あるいは、どんなに美味しい料理でも、同じものばかりだと食欲が無くなります。
違う料理を出したり、ときには箸休めが必要です。
上記したチョロQ64で言えば、何も考えずアクセル全開で走れる直線が必要だったのです。
そこで、少しクールダウンしてもらってから、ジャンプ台やカーブを楽しんでもらうべきでした。
その作り込みは本当に面白さにつながっていますか???
いい意味で、抜きどころを設置するべきです。
そんな自分の経験を踏まえた意見でした。




