現代ではゲームをプレイすることによってお金が稼げます。
本当にとんでもない時代が到来したものです。
ゲームによってお金が稼げる時代となったことで、さまざなプレイヤーが表舞台で活躍するようになりました。
ゲーマーがニュースに取り上げられることも珍しいことではありません。
ゲーマーの地位が上がるのは嬉しい限りです。
しかし、このまま歴史に埋もれてしまうのは惜しいと思っていることがあるんです。
それは古参ゲーマーの戦いの歴史です。
少し昔話をします。
ゲームでお金が稼げるなんて、まだ誰も夢想すらしていなかった時代のことです。
ちまたのゲーマーは感情だけを燃料に戦っていました。
ボクもその一人です。
ゲームに対する世間の目だって、いまとは全然違います。
ゲームは悪しきものとして社会に認知されていました。
それでもゲームが好きな人たちは、こぞってゲーセンで火花を散らしていたんです。
いまの時代であれば、ゲームが強いことが一種のステータスとなります。
大会で優勝でもしようものなら、それがキャリアという武器になるでしょう。
しかし、昔は違います。
ただ感情だけで戦っていたんです。
それはとても純粋な感情です。
感情だけを燃料にゲームを練習し大会に参加していました。
そして、その時代はもう二度と来ることはないでしょう。
お金という対価が用意されている現代では、少しだけプレイする動機が濁ってしまうのは否めないと思います。
たとえば、ゲームに対してそれほど魅力を感じないけれど、ゲームの才能があるから職業としてプロゲーマーを選択する人間も出てくるでしょう。
もちろん、現代の環境の方がゲーマーにとっては良いです。
ゲームに打ち込むことで明確なリターンが期待できる方が絶対に良いです。
ボクは別に現代のシーンを否定する気はさらさらありません。
むしろ肯定しています。
正直に言えば羨ましいという気持ちもあります。
ボクが若いころからプロゲーマーという職業があったのなら、またボクの人生もほんの少し変わっていたのかもしれません。
しかし、感情だけで戦っていた時代を経験できたことは古参であるボクの宝ものです。
仕事中も次の大会のことを考え、何のリターンもないのに必死で練習していました。
いまプロゲーマーが活躍できる舞台があるのは、そんなボクらのような名もなきゲーマーが積み重ねてきた歴史があるからです。
いまの時代に対して思うのが、本当にゲームが好きでいて良かったということです。
そして感情だけを燃料にして戦っていた時代を過ごせて本当に幸福だったということです。
それだけで、ボクがゲームをやっていたことが報われるような気がするんです。
ボク自身はゲームでお金を稼ごうとは思いません。
そんな能力もないです。
ですが、草場の影でずっとゲームをやり続け、いまのシーンを応援し続けていきます。
ゲーム万歳!!