映画「スリービルボード」は人生の味がする傑作です。
その理由は、この映画が持つリアリティが、人生そのもののメタファーとしてボクの目にうつるからです。
・物語は必ずしも真っすぐ終わりに向かって進むわけではない
・精神的な欠点が人間関係を拗らせ、悲劇をもたらす、しかしそれこそが人間である
・どんな状況であっても手を差し伸べる人間は現れる、そこに救いがある
・人間にはさまざまな一面があり、表面からではとても理解しきれない
・現実的に何が起こっているかよりも、本人がどう解釈するかがすべてである
あらすじ
娘をなにものかに殺害された主人公が、まともに捜査してくれない警察への反抗として、警察へ対するクレームを看板に設置する。
それをきっかけに、警察やそこに住む人々からさまざまな嫌がらせを受ける主人公だが、ひとり犯人捜しに奔走する。
※ここから楽しみを奪わない程度のネタバレをします。
普通の映画のセオリーとして、紆余曲折の末に主人公は何かを成し遂げて終わります。
しかし、スリービルボードの主人公は何かを成し遂げたりすることがありません。
娘を何ものかに殺されてしまった無念から奔走するものの、すべてが空回りします。
そして取り返しのつかない悲劇が起こるのです。
普通の映画↓
スリービルボード↓
最後は予想もつかないエンディングを迎えます。
何も解決しないし、明らかに間違った方向へ進んでいるのに、見るものに爽やかなものを残します。
これはボクらも人間だからです。
理屈だけではなく感情も動機となりうる人間だからこそ、ボクらの胸を打つのです。
本作に登場する人物は、主人公も含め、心根は善人です。
しかし、どこか精神的な欠点を抱えています。
キレやすく短気な人物が多いんです。
それゆえに、ボタンの掛け違いが起こり悲劇的な展開となります。
舞台は閉鎖的な田舎です。
主人公は絶対的な権力を持つ警察とやり合います。
とうぜん、主人公は警察も含め地域住民から迫害されることとなります。
町全体が敵となってしまうのです。
しかし、そんな状況であっても主人公に手を差し伸べてくれる人物もいます。
絶望的な状況でも戦い続ける主人公に感化されるのです。
やはりみんな心根は善人なのです、しかし、その環境や立場によって、人は社会的にさまざまな仮面を被らなければならないのです。
冒頭で、スリービルボードは人生の味がすると書きました。
この映画はどこを切り取っても人間臭いんです。
人間ゆえの愚かさ、そして人間だけが持つ高潔さ、たしかにそこにある救い。
人生は悲劇であり喜劇です。
ボクらも道々決めていきましょう。
きっとそれで良いんです。
人生の味がするスリービルボードは傑作なのです。